「洞川気質」

終戦直後、大峯山に女性を登山させようとした進駐軍の計画を、これは日本の文化だとはねつけたのは洞川のプライドと心意気。かつて山伏、密偵、忍者が行き交っていたと想像されるこの地は、又文化の交流点でもあった。洞川の言葉には山を越えた各地の言葉が混じり、気質は開放的で柔軟、しかも結束強く自治の気概が高いと聞く。洞川の住人で構成される洞川財産区は、行政の力を借りずに上下水道をひいた。これも住居は別
として、土地は統べて洞川の共同財産という財産区独自のシステムあってこそ出来たことだ。
「立木一代」(りゅうぼくいちだい)

日本名水百選に選ばれ、村外から人が押し寄せるようになった湧き水の管理は財産区の役割。山の管理も独特だ。山自体は洞川が所有する土地だが、入札で落とした者が木を山に植え、それが切られるまでは入札者の管理下におかれる。出荷した材の収入は入札者のものとなり、山は又洞川に戻される。これが「立木一代」。地域がそのまま残るようにした先人の知恵だ。
「修験道と行者」

修験とは「修行得験」、修行をつんで法徳を顕わすこと。得験のために山に入り、
様々な行を重ねる修験道の行者たちが山伏と呼ばれる。修験道の最盛期は平安から鎌
倉時代で、山伏は僧兵のように、軍事・政治の社会的勢力でもあった。護摩(ごま)
を焚き、祈祷を行い、山中に行をつみ、密教に基づいて神仏いずれにも仕える修験道
には、熊野三山を修行の場とする本山派修験(天台山伏)と、吉野大峯修行を行う当
山派修験(真言山伏)のふたつの大きな流れがある。
現在でも、古式に従った装束に身を包み、法螺(ほら)を吹き鳴らしながらの厳しい峯
入り修行を、日常の合間に続けている行者が全国にたくさんいる。
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