|
田んぼの中に埋まるように水車小屋が見えた。扉を開け放つと、薄暗い小屋中には、もうもうたる薄茶色の杉粉が舞い、ドズンドスンと、突き棒の音が絶え間なく腹に響く。深山の香が、満ち満ちている。すがしく懐かしい、自然まんまの香りだ。杉粉が鼻腔一杯に飛び込んで来るのに、どうしてクシャミひとつ出ないのだろう。
案内してくださった昭和17年生まれの、浅田邦三郎さんは、「これは水虫にも効くんです」と手ですり込むしぐさをした。今市杉線香の創始者・安達繁七と同郷で、今は引退している父義一さんは、杉の粉にまみれて働いてきた効用か、病気一つしたことが無いそうだ。「今はやりの「フィトンチッド」のお陰ですかね」と笑う邦三郎さんの艶々した顔も、とてもお年に見えない。
二十歳の時の時から家業を手伝って来た邦三郎さんは、奥さんと共に、水車を廻すかたわら、農業もやっている。製粉の作業は年間を通
してだが、湿気を嫌う仕事なので、製造に適しているのは、夏〜翌年3月ごろまでだそうだ。原材料の杉葉は無料でも、これは「山持ち」も助かるのでおあいこ。杉の枝葉は、屋根がけの下で3ヶ月ほど乾燥させる。山をなす一小屋分を粉にするのに、約5ヶ月をかける。
 
ケヤキが心棒、黒々とした木製の水車を廻すのは大谷川の水だ。傍らには水神様が祭られている。水車は作れば12,3年もつ。故障しても今は、隣に住む長年の付き合いの大工さんがすぐに修理してくれるからいいが、技術を継いでくれる人がいないようなのが気がかりだ。水車の動力は、回る水車に連動する歯車に差し込まれた木片をはじく事で、突き棒や他の部分に伝えられる。小屋の中の歯車も付き棒も、ふるい機も、全ての仕組みは、カシやケヤキで出来ている。訪れる人は「小屋に響く音がなんともいい」と言うのだとか。木の音の心地よさに、拍子木の音に通
じるものがあるのだろう。
全て自然相手の仕事なので、朝ごはんの前の水車の見回りは欠かせない。雨が激しく降るようだと、夜中でもすっ飛んで行く。本流にバイパスを作って水を引き、適量
流しながら水車の回転を調節しているから、増水の時は分岐にある水門を調整して、水車を守らなければならない。他に仕事を知らないし、親から受け継いだことはやめられないから、と邦三郎さんは屈託がない。最近の自然志向から杉線香が又売れるようになり、小学生が総合学習で東京から見学に来てくれるようにもなった。水車をやめない理由を「皆がよろこんでくれるからね」とだけ答えた邦三郎さん。「神に捧げるもの、御先祖様に捧げるものをつくっている」喜び。自然の中で受け継がれてきた営みの体温が、杉の粉で茶色くなったシャツから匂ってきた。
【作業の手順】
・杉山から、枝葉を拾い集める
・枝を取り去り、5ヶ月位乾燥させる(右写真)
・乾燥した杉葉を、手仕事で裁断する。
・裁断した杉葉を、木造だが、これだけは電動の四角いジョウゴ状の機械を通
して、さらに揉んで組織をこわす。
・一列に並んだ突き棒の下にある、細長いくぼみに入れて30時間突き続ける。まんべんなく突けるように時々手で返してやる
・粉は、水車の動力に連動した、これまた木製のふるいでふるう
|