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太古から繰り返された日光火山群の活動は、谷を刻み、大谷川を堰き止めて中禅寺
湖を生んだ。あふれ出た大谷川は、もろく、急峻な山々を削りながら氾濫をくり返
し、土砂を運んで下流域に扇型の平地(現在の日光市、今市市にあたる)をつくり上
げ た。やがてそこに人間が住むようになったが、本来の地形、地質、厳しい天候は
変えようがない。相次ぐ土石流や洪水の発生が人々を苦しめた。

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「大谷川の変化」マウスをあてると昭和22年の大谷川になります。
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日光の山々は、侵食の進み具合からいえば幼年期後半から壮年期。地球単位
で見れば「崩れ」は、山が老年期に向かう時に起こる当然の現象であり、止めることのできない自然の営みといえる。こうした自然の脅威に対し、知恵と工夫を駆使して人々の生命や財産を守り続けているのが「日光砂防」だ。
日光で最初の砂防事業は、約1300年前、天武天皇が川の氾濫や土石流が続く山々の樹林伐採を禁じた事に始まり、江戸時代には土留め工事も行われるようになっていた。しかし、山々の荒廃は止めようがなく、大正7年、相次ぐ大戦に打ち切りとなっていた県営砂防事業は、日光砂防事務所の前身「内務省第一土木出張所稲荷川工場」へと引継がれる。
翌年、当時最も高度な工法、比類ない強度と期待されて完成した稲荷川第一ダムは、三ヵ月後未曾有の大水害によって流出する。こうした苦難を乗り越えて、「日光砂防」の研鑚と戦いの歴史は、そのまま、自然との「共生を求める模索」の歴史へとつながる。
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