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湖畔に佇むマントルピース
明治35年、中禅寺湖に初めて鱒を放流し、フライ・フィッシングで自らの晩年を慰めたのが、トーマス・グラバー。零落して長崎から東京へと移り住み、ここに別
荘を建てた明治維新影の立役者だ。やがて中禅寺湖は鱒釣りのメッカとなる。
大正14年、国内外の鉱山事業で成功を収めたハンス・ハンターは、湖の西岸、千手ガ浜に約34万坪もの土地を借り受け、フィッシングとゴルフを中心とした国際的社交倶楽部「東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部」を発足した。昭和2年にグラバー邸を建て替えてつくったクラブハウス「西六番別
荘」は、皇族、内外の名士・高官・実業家ら上流特権階級が集う、リゾート地の「社交界」そのものだった。
中禅寺湖の国際避暑地としての華やかな歴史は、相次ぐ大戦によって断たれ、ついに昭和初期幕を閉じる。菖蒲ガ浜の遊歩道奥には、昭和15年の火事で消失した西六番別
荘のマントルピースだけが、モニュメントのように残されている。一方、歌ヶ浜方面
に向う湖畔には、現在でも利用されているフランス、ベルギー、イギリスの大使館別
荘がある。無論立ち入ることはできないが、かつてのイタリア大使館別
荘敷地が公園となって一般公開されているので、雰囲気を味わうことができる。
イタリア大使館別荘記念公園
昭和3年に建てられ、平成9年まで歴代のイタリア大使とその家族の別
荘として使われていた。敷地に建つ別荘本館は、和風を取り入れたモダンなもの。湖に向って広々と開け放たれた一階の書斎に置かれた大使の椅子は、馬の毛を編んだスプリングが使われているとか。かつて未経験、至上の座り心地だった。職員さんの、「ここは、ずっと靴の生活でしたが、母が床をあまりきれいに磨き上げるんで、大使が気の毒がって15年前からは日本風に暮らすようになっていました」との説明に、過ぎし時を追体験。別
荘に愛着深かったイタリア大使がここを手放す際、民間からの引き合いも多かった。が、国立公園内の法律のもとで、傷んだ古い建物を復元することが出来る譲渡先ということで、栃木県を選んだのだそうだ。
ダイニングルームのテーブルに往時のままセットされたノリタケチャイナや銀器には、見えないほどの傷跡が無数にあった。二階に上がって、湖の桟橋を見下ろしていると、ここで時を過ごした人々のバカンスのときめき、愛憎までが蘇ってくるかのようだ。敷地内の国際避暑地歴史館には、例年各国大使が出場したヨットレース、湖に舞い降りた水上飛行機。何艘もの小舟をゴンドラのよう繰り興じる写
真など、中禅寺湖に故郷を重ね、異国にいることを忘れただろう一刻が、そのまま時を止めていた。
右写真は、別
荘本館の二階から見た中禅寺湖と桟橋
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