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夫婦のよさが宿のよさ

経営者の長洲秀吉さん良子さんご夫婦は、先代の秀雄さんが米もとれない90戸余りの漁師町だった昭和初頭の広浦で開業した民宿を受け継いだ。結婚した昭和40年のことだ。今は年中無休、年間宿泊客数2000人の宿で、法要や宴会など地元の利用も多い。漁もあれば泊り客や釣客の世話、共同経営の屋形船や広浦公園管理の仕事もあるので、時に人手を頼み家族で分担してこなしている。うらやましいような「二人で一人」のご夫婦は、揃って曲がったことが大嫌いで面
倒見がよい。採算よりもお客の喜ぶ顔が最優先という人柄ゆえだろう。この不景気で地元に13軒あった飲食店が2軒になったというが、宣伝もいらないほどの繁盛ぶりだ。

まずは涸沼を売り込むこと

毎日漁に出る長洲さんには、涸沼は恵みを与えてくれる本当に貴重な沼だという実感がある。それを伝えたいと涸沼産を明記した手製のラベルを貼ったヤマトシジミを東京や千葉の市場へ、九州・立石養鰻へは関東では涸沼だけで獲れるウナギの稚魚(クロコ)を出荷している。
稚魚が別の産地名になって出回るのは口惜しいけれど、今は涸沼の宣伝だ。地域では、交流促進をはかった「広浦振興会」、ふれあいの場として「ひろうら直売所あいあい」を立ち上げた。シジミの真空パック販売は長洲会長のアイディアだ。
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▲涸沼干拓事業以前の広浦風景。
砂洲が長く伸びて「常陸の天橋立」 とも称された。 |
つのる危機感

漁具が進歩した今も漁獲があるのは、みんなで乱獲を戒めてきた汽水湖だからこそ。しかし資源は無限ではない。雑排水の流入、干拓、治水対策などで広大な藻場(「もく」・水生植物))と棚が支えていた環境が変化し、富栄養化によるアオコの発生、透明度や水質の低下、魚の減少などが起こっている。今の内に何とかしなくてはだめだと、長洲さんは危機感をつのらせる。
今、漁民としてできること
日々各々の漁獲量だけを基準に、一喜一憂していては手遅れになると長洲さん。シジミの場合、卸業者が各漁業者から直接買いつけているので、正確な総漁獲高も掴めていないのが実情だ。これを漁協が一括して扱えば漁の実態が把握でき、対策の道も拓ける。漁協を中心に組合員が一丸となって営業や出荷を行えば、消費者の信頼も得やすく、涸沼ブランドの確立も夢ではない。その結果
、価格が安定すれば漁にも心にもゆとりが生まれ、昔の涸沼を取り戻そうとする連携がもっと強くなるに違いない。
もうひとつの顔・環境ボランティア

自然を受け継ぐ一漁師として、長洲さんには「おれの沼」は「みんなの沼」で、漁民だけのものではないという思いがある。人と自然がどう共生していくかなのだ。もう沼や川で水遊びもしない地元の子ども達だが、「ふるさとに誇りをもって成長してほしい」と、卒業を控えた広浦小学校の6年生を屋形船に乗せ、沼の自然を体感させる無料招待
を始めて9年目になる。
涸沼を知ってもらうためならばと、研究者や大学生の論文作成、調査研究の支援には労を惜しまない。
寝食の面倒までみた学生のウナギ稚魚の論文が研究分野に大きく貢献したのはいい思い出だ。大学や小学校、自治体にとって長洲さんは「涸沼の語りべ」でもある。シジミやウナギの生育観察、舟からの涸沼見学、水質調査やシジミかき体験など、涸沼の全体像がつかめる工夫いっぱいの体験型プログラムが、涸沼ファンを育てる。
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