【神宮】
伊勢神宮の正式名称は、ただ「神宮」。正宮は5キロをへだて二つあって、「内宮」(天照坐皇大御神/あまてらしますすめおおみかみ)を祀る「皇大神宮」)と、「外宮」(豊受大御神/とようけおおみかみ)を祀る「豊受大神宮」)が鎮座している。それぞれの神域内には関連深い社が大小とり混ぜ点在し、合わせて125の社が祀られている。

伊勢に鎮座して2000年。神宮で最も重んぜられてきた神様のお供えは、「米・塩 ・水」。人の生命維持に欠かせないものを象徴しているが、太古の人々にとって、 「水」はそれ以上に特別な力が宿る神聖な存在だったらしい。清らかに湧き出る水 に神の永遠性とエネルギーを重ね、水の祭祀や禊やを行うことで水がもつ浄化力や蘇 生力にあやかれると信じていたようだ。

いにしえのままの神宮に残る、神々や人々と水の関わりを求め、まずは内宮から。

神宮と水

神宮と水との関わりをさがして

内宮と水

  宇治橋
 

五十鈴川にかかる宇治橋

 

日常と神々の世界を隔てる境界の橋・宇治橋

内宮はここから右側通行。左前方にあるご本殿を畏敬し遠回りしながら参道はつくられている。外宮では同じ理由で左側通 行になる。底浅く、川石眩しい五十鈴川の清流にかかる全長約102メートルの宇治橋は年間600万人が往復する。磨り減った無垢材の敷板に何ともいえない味がある。古来、水につからないまでも、水の上を渡ることで浄められるという信仰があったそうだ。

宇治山田の「網受け」

昔は、橋を渡る参詣者が川に賽銭を投げる習慣があり、橋下で待ち構えている者たちがどんな投銭も竹竿の先の網で器用に拾ってみせるので、「宇治山田の網受け」の芸当として全国に知られていた。

木除け杭

←木除け杭

上流側に立ち橋を流木から守る。2004年の台風21号でも大活躍。巨大な流木を食い止めて役に立つことを実証した。内宮は近年でも神楽殿前の石段まで水に浸ったことがあるそうだ。

下流に遠望する禊場→

神職を目指し、門前町にある神宮道場で研修する若者は、厳冬期の早朝に褌ひとつで川に入り禊を行う。身が凍り、「みそぎ」とは身をそがれること、と実感するのだという。

禊場

 

年間500トンの補充。参道の玉砂利

神苑の玉砂利をザクザク歩むにつれ、一足ごとに現世から異空間へとワープするような心持になる。この玉 砂利、踏み固められ、砕け、雨で流され何時の間にか減るそうだ。以前は宮川の玉 砂利を購入していたが、砂利採取権をもつ三重県が河川法に基き原則として河川からの砂利採取を禁じたため、昭和50年頃から維持管理が悩みの種。幸いこの30年来は、建設業者の人が毎年欠かさず玉 砂利を大型ダンプ15台分献納してくれている。ちなみに、参道の中央は神様の通 り道、避けて通るのが懸命だ。

防火のための水路にかかる「火除橋」

いよいよ神域。火除橋を渡る。水路には荒祭宮近くの池から、山水や五十鈴川伏流 水を集めた水が流れる。神宮といえど火災は無縁ではなく、防火のための池や水路が 随所に見られる。

散水車と玉砂利

←広大な玉砂利を
 往復する散水車


毎朝の散水が埃を抑え、神苑の清浄な空気を保つ

火除橋→

ここから先には廃水問題からトイレがないので要注意。 外宮にも同じように防火水路と火除橋がある。

火除け橋

手水 「手水舎(てみずしゃ)」で心の準備

一般は柄杓で両手と口を清めた後、柄杓を立てて残った水を柄に伝え清めて返す。祭典時の神職の作法には、この柄を清める所作がないそうだ。案内をお願いした神職の方の流れるような柄杓の扱いに見とれる。水は水道水。川水は上流に人が住んでいるので飲用に適さないとの判断から。内宮に手水舎が出来たのは近年になってからのようだ。

 

御手洗五十鈴川のせせらぎ「御手洗(みたらし)」

昔からの御手洗は整備工事中で、五十鈴川でのお浄めかなわず。常なら大人は子どもの無心にかえり、いつもと勝手が違う子どもたちは緊張して川のせせらぎで浄めるのだろう。一級河川・五十鈴川の神宮域は三重県の管轄だが、河川敷にある御手洗の工事は神宮の施工によるもの。
(写真提供: 神宮司庁広報室 )

祓所五十鈴川に面して「祓所(はらえど)」

ただ静まる広い空間は五十鈴川に面し、神嘗祭はじめ大きな祭典がある前月末、奉仕 する全神職が大祓いを受ける。主たる神職たちが対峙するのは五十鈴川。大祓いの 後、罪穢をたくした榊は五十鈴川に流される。大祓詞には、大海原の潮流が罪穢を消 し去るとあるそうだ。
(写真提供: 神宮司庁広報室 )

 

滝祭神五十鈴川を治める「滝祭神(たきまつりのかみ)

板垣をのぞくと社殿もなく、中央にただ石が積まれていた。格からいえば所管社 だ が、別宮に順ずる祭典にあずかっているのは、五十鈴川を守り氾濫を防ぐ土地の神様 だから。八朔(はっさく)の日に、五十鈴川の水を汲んでこの神前に備え、家に持 ち帰って神棚に供えれば家内安全・無病息災。その水で書道をすると字がうまくなる のだとか。

 

 

神楽ドキドキ参拝体験・・・

「御神楽を奉納させていただきました」

神宮はもともと皇室の先祖をまつり、国のまつりごとなど大きなお祈りをするところなので、個人的な願事は御神楽殿でということになる。神饌を供えての祝詞奏上をお願いする。ごくごくシンプルな神殿の左右には、四方に枝を伸ばした大きな榊が立てられ、大量 の麻とそれぞれ鏡と太刀が飾られている。生で聞く雅楽の厳粛、雅なこと。祝詞の言葉の美しいあたたかみ。普段の不信心は何処へやら何ともいえないありがたさ、うれしさで頭をあげられない。舞姫たちの立居振舞や舞は、あたかも太古の祭祀を見るかのようだ。
(写真提供: 神宮司庁広報室 )

「御垣内に参入しての正式参拝」

外玉垣内御門左にある宿衛舎(しゅくえいしゃ)でたっぷり塩のお清めを受け、ごろごろ とした敷石に足を取られぬよう進むうち身体はすくみ、ぞくりとした緊張感でいっぱ いになった。二礼二拍手一礼。足元がふらついた。外で待っていてくれた案内の方の 笑顔に心底ほっとする。御正殿の中の掃除は月に三回と聞いて、ようやくこわばりがとけた。


外宮と水

神々の御饌(食事)と神聖な御井(井戸)

「日別朝夕大御饌祭」(ひごとあさゆうおおみけさい)

外宮は、天照大御神の御饌をつかさどるために迎えられた豊受御大神をお祀りする。以来1500年、外宮では朝夕の二回、大御神や別 宮の神々が召し上がる御饌を用意しお供えしてきた。これが神宮の祭典のひとつ「日別 朝夕大御饌祭」だ。神道では、神もいのち、人もいのち、万物も同じ霊的ないのち、ととらえる。

  下御井神社
 

▲下御井神社
かわいい覆屋の扉には鍵がついている。上御井でも汲むたびに御鍵をかけしめし、御井の規模やつくりは同じだが、さらにもうひとつの覆屋がかけられているのだそうだ。上御井は拝観が許されていない。

 

お供えとして捧げ、調理にも用いる御料水は、毎朝御井(井戸)から汲まれる。上御井と下御井とがあり、下御井は普段は用いられず、万一上御井に事故や穢れがあった場合の非常用。いずれの御井も神垣で囲み、覆屋をかけ、「御井の神」が祀られている。大干ばつにも枯れないといわれ、「異変があれば必ず朝廷に奉問して処理すべし」と古書に記されている。

水を汲む際には水面に人の影を映すことを畏れて、ただでさえ長い柄杓をできるだけ差し出し、身体を遠ざけ顔を背けるようにして桶に汲むのだそうだ。汲まれた水は土器の壷に移し、水腕(みずまり)に注いだ後、塩と共に神饌の中央に置かれる。

土宮暴れ川・宮川を治める神「土宮(つちのみや)」

外宮の西を流れる宮川は、かつて縦横無尽に分岐し氾濫を繰り返す暴れ川で、御 正殿まで水が達することもしばしば。人々はもちろん神宮にとっても治水への願いは 切実だった。土地の守護神は川の氾濫を治めるとされ、築堤の後には堤防守護の神と しても尊ばれるようになった

宮川支流の川原だった「川原祓所(かわはらはらいしょ)」

別宮の遥拝所近くにある「三つ石」と呼ばれる祓所で、三つの石が注連縄に囲まれて いる。かつてここは御正殿の前を流れる宮川支流の川原だったが、地震で川筋が無く なってしまった今も、同じこの場所で遷宮諸祭の大祓が行なわれている。かつての川 の流れは、細長く三つにくびれた中ノ御池となって残っている。

勾玉池ふだんは憩いの場所「勾玉池」

やわらかな日差しの中で地元の老人グループ談笑している。昭和30年代までは、ここで採れたマコモで神事に使う敷物「葉菰(はこも)」が作られていたそうだ。中ノ御池と水路でつながる勾玉 池も宮川の伏流水などが水源と思われる。ここを出た水は外宮の火除橋を流れ、外宮を巡って勢 田川へと流れる。


式年遷宮と川と水

遷宮は、20年に一度、主な社殿の隣の空敷地に、もとの姿通りの新しい社殿を建て、神々の服飾品や調度品約2500点全てを再現新調し奉納した上で、神様にお遷りいただく制度。1300年前、大陸文化宗教伝来の嵐の中で、日本古来の信仰・文化・思想を未来に伝えようと天武天皇が定めたといわれる。平成5年に第61回目を迎え、平成17年の今年、平成25年の遷宮に向けて最初の祭儀が執り行われた。

お木曳新殿の御用材は「お木曳(おきひき)」で

遷宮に使う御用材(木材)1万3千本余りは主にトラックで陸送されるが、今で も重要部分は旧神領(現伊勢市・二見町・御薗村)が中心となって、神宮内へと運び 込むのがしきたりだ。直径1メートルを越える御用材は、内宮用は水陸両用のソリに 綱をつけて五十鈴川を川曳きし、外宮用はお木曳車に乗せ大勢の人が綱を曳いて町中 を陸(おか)曳きする。昔は全ての御用材を人力で運んだが、どうせやるなら楽しく やろうと、現在のように趣向を凝らした威勢のいいお祭り行事になったものらしい。
(写真提供: 神宮司庁広報室 )

御用材は外宮山田工作場の貯水池で「乾燥」?!

お木曳を終えた御用材は製材までの2、3年の間、外宮城内の貯水池に浸けられる。 「水中乾燥」といい、原木を真水に浸けると樹液(アクや油気)が水と入れ替わり外 に出る。樹液より水のほうが乾燥が早いから、用材になったとき収縮率が低くひび割 れを防止する効果があるらしい。その後用材は水から出して自然乾燥を待つ。この山 田工作場には神宮全ての社殿、門、垣などの点検修理を行う神宮の宮大工達が働いて いる。遷宮の新社殿造営には8年前からとりかかるのだそうだ。

宮川から選り集めて納める「お白石持」

神宮で印象に残るのは神殿の直線美。きっちりと境界を分け敷き詰められた御垣内の白石と黒石のコントラストだ。石は子どものこぶしほどの大きさで、黒石は黒というより自然なグレーで「清石(きよいし)」と呼ぶ五十鈴川の石。宮川から集める白い石は「御白石」と呼ばれ、特に神聖なところに敷かれる。その白石を遷宮の年の夏、神宮に奉納するのが「お白石持」。5年後に備え、旧神領の各町村の人々は宮川上流に出かけて行っては選りすぐった石を拾い集め新しい樽に詰める。いよいよ当日、遷宮が済めば決して入ることが許されない御正殿の内院に白石を納める。平成5年は約33万4千個が奉献された。とはいえ、広い敷地だから全てを入れ替えることはできない。古い石も全部を集めてひとつづつ洗って苔や汚れを落として再使用しているそうだ。


神々のための食材づくりと水

焼き塩の神事神様の「衣・食・住」は神宮内での自給自足が建前。そのための施設や用地は、神宮が一宗教法人として購入・管理している。食に関する施設でいえば他にも、乾鯛調製所・鰒(あわび)調製所・土器調製所などがある。「衣・住」では絹や麻布を織る所管社・榊などを栽培する「神宮苗圃」・御用材を育てる「神宮宮域林」など。人が生きていく上で必要最低限の産業の全てが神宮の中で転結されていると知って驚いた。

五十鈴川のエッセンスが上質の塩をつくる(伊勢市二見町)

神々のお食事に供えたり、お祓いに使う塩は、河口近い五十鈴川のほとりにある入浜式塩田・御塩浜で濃い潮水をとり、御塩殿で塩にして焼き固める。海ではなく川から水を引くのは、海水と真水が混じる潮合で汲んだほうが細かい塩になるからだそうだ。
(右写真「焼き塩の神事」 提供: 神宮司庁広報室 )

2000年前から五十鈴川の水で稲作 (伊勢市楠部町)

伊勢の地まで大御神をお連れした倭姫命が「五十鈴川の清らかな水を引いてここで作りなさい」と命じたとされる神宮神田。神宮の祭祀の多くは豊作を祈願することに関係し、歴代天皇も御所で作った初穂を神宮に届けるのが慣わし。いかにも瑞穂の国らしい。全国に田植祭は多いが、ここでは4月の下種祭から稲作から始まる。「人が食いて活くべきもの」と神が預けて下さった籾種を蒔くお祭りで、生命が育つところから重く扱って象徴的だ。実った稲は穀霊を驚かせないように一本一本抜き取られる。

五十鈴川の水が育てる清浄野菜 (伊勢市二見町)

神宮御薗で神々のために作られている果物は20種、野菜は50種余りにのぼる。中にはビタミン菜やブロッコリー、苺などがあって神様もモダンなものを召し上げっているのだと微笑ましい。もちろん無農薬で、用水は五十鈴川から引いている。お供えする時に盛る土器のサイズが4寸(直径12センチ)と決まっているので、野菜もあれっと思うほど小さく作られているそうだ。


神宮周辺の印象的風景とこぼれ話

 風日祈宮  ご奉仕  心御柱
風日祈宮(内宮)
土地の神様が四隅に祭られれている。立板塀の何とモダンなこと。
古殿地清掃のご奉仕(内宮)
片隅にまとめられた荷物に生活の匂い。ご奉仕を持ち寄る心が温い。
心御柱覆屋(外宮)
神殿隣の空き地でオーラを放つ。遷宮で新たな神殿がこの上に建つ。
 熊手  老木  みとばり
玉砂利専用の道具たち(外宮)
特別あつらえの竹箒・小さな熊手が塵一つない聖域をつくる。
老木を囲む竹(内宮)
長寿にあやかろうと参拝客が触るので木が傷まないように巻く。
外宮御正宮、生絹の御幌(みとばり)
風が強く吹き抜けるので、祭礼の間押さえる神職は必死だそうだ。
 榊  多賀宮への階段  杉葉
お榊
お祓いは榊で行うのが正式。一月で小型トラック山盛4台分を消費する。
多賀宮への100段階段(外宮)
神職の間では「これが登れなくなったら引退」と言いあっているそうだ。
土器に挿された杉葉
内宮神楽殿の手水舎に緑鮮やか。この上で清めた手をはらう。

 

神宮こぼれ話

神様の合理性
神様の食事の時間、参拝時間は夏と冬で違う。サマータイムが導入されているのだ。祀られている神様も風日祈宮(かざひのみや)は元寇の時に神風をおこし国を救った功で別 宮に昇格、川を守る神様も昇格したり特別待遇をうけるなど、けっこう人間くさい。

「忌」本当の意味
神宮で「忌火屋殿」とか「忌柱」とあるのを見てギョッとした。神道では「忌」は神聖、清浄をあらわす。神事専用で一般 の使用が厳禁されるものにこの文字がつく。一般では触れてならぬあまりに、いつのまにか遠慮と恐れが不吉なものへと結びついてしまったようだ。

荒御魂、和(にぎ)御魂とは?
内宮、外宮にはそれぞれの祭神の荒御霊を祭る別宮がある。愛情に満ちた和御魂に対して積極的、活動的な神霊が荒御霊で、困った時に力を与え、長生きさせてくれると信仰されている。神様の二面 性を人間に重ねるのも畏れ多いが両面あってこそだなと思い当たる。

神社でご奉仕する人々
神宮社内でご奉仕する人は神職はじめ舞姫、楽師、営林部、衛士、宮大工など約600人。神職以外は見習からスタートしだんだんと一人前になっていく。事務をつかさどる神宮司庁は内宮にあるが、職員は内宮・外宮どちらにもご奉仕することになる。

舞姫のこと
神宮では巫女さんのことを舞姫と呼び、高校を卒業後5年間だけを奉仕する。全員が交代で、舞楽からお掃除、ご祈祷のお手伝い、お札つくりや授与などをこなす。その合間に茶道・華道・和裁や講義も受けているのだそうだ。

神職のこと
神職は約100名。夏暑く冬寒いのが装束。「夏は平常におれない」程だとか。普段着の白衣は全くの消耗品。自前で洗濯も自分でする。お籠もりの時や祭祀の前は肉食や臭いものを摂らずに身を清めるが、普段も四足を避け鶏ならOKという人も多い。神宮の祭祀は年間千数百回もあって緊張を強いられる上、広報や事務の仕事も兼任で宿直もあり、タフでなければとても勤まらない。

営林部のこと
30人ほどで宮域林の管理や、神域の樹木管理などを行う。神苑周辺は芝生や松がきれいに手入れされているが、これも営林部の仕事。神域全体でいえば「できるだけ手を入れず自然のままに」が方針だ。

神宮御饌事情
正宮の神饌は同じものを二つづつ用意するのが神宮のしきたり。ここまでする神社はまず無いそうだ。お陰で、カラスに御饌をさらわれてしまった時も、備えがあるので あわてずに済んだとか。下げられた御饌は関わった神職たちがお相伴させていただ く。

 

【神宮関連サイト】
伊勢神宮公式サイト
伊勢神宮式年遷宮広報本部公式サイト

【お参りの手引き】
新・伊勢参り 伊勢商工会議所青年部WEBサイト内
「インターネットでお伊勢参り」 ホームタウン・ホームページWEBサイト内

【知る・見る】
「神宮徴古館」  時代の最高技術で奉製された遷宮の美術工芸品に、改めて日本の文化水準を知る。
「神宮農業館」  自然の産物のすばらしさを伝える日本最古の産業博物館。神宮の衣食住がよくわかる。
神宮司廳文化部.「神宮の博物館」

【泊まる】
神宮奉賛活動を行なう崇敬会が運営する神宮会館は宿泊可能。早朝の内宮参拝案内も 可能。
(財)伊勢神宮崇敬会


取材協力:神宮司庁広報室
情報提供:三重県河川管理G・三重県建設部
このページ作成参考資料:
神宮司庁発行各種パンフレット
季刊「瑞垣」 神宮司庁
「絵図に見るお伊勢参り」 旅の文化研究所
「伊勢神宮の衣食住 」 矢野 憲一・著 東京書籍
「伊勢神宮」 矢野 憲一・著 講談社カルチャーブックス

 


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