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町のはじまり

葦の生い茂る湿地帯だったこの地の埋め立てが始まったのは室町時代中期といわれ、これが勢田川を意識した「川を利用するための町」=「川湊」の「まちづくり」のスタートだった。川に石積をし、町の周囲に環壕(かんごう)を掘って勢多川の水を通
し、四方に惣門を設けた戦国時代のまちづくり。環壕は惣堀とも呼び、弥生時代からあった「敵の侵入を防ぎ、排水の役割りもする掘」で、ひとつの集落の形成と武装化に密接な関わりを持つという。
折りしも、鎌倉時代にかけて貨幣流通が進み、庶民の旅が「信仰の旅」として浸透し始め、しかも荒行で知られる熊野詣から、伊勢神宮へと関心が移り始めた頃だ。
伊勢の台所(だいどこ)

庶民のお伊勢参りが浸透し、伊勢が発展するにつれ、河崎は町の中央を流れる勢田川の舟運を利用し、神宮周辺地域(宇治・山田)の物資をまかなう大問屋街へと発展する。江戸時代に入り、地域の人口12万人に対し年間400〜600万の人々が押し寄せる一大消費地をかかえ、町は海路からも入ってくる各地の物資往来の中継点として賑わいをきわめる。
河崎商人のちから

江戸初期には、日本ではじめて地域貨幣として紙幣がこの町でつくられる。参宮者が持参した金貨や銀貨を、伊勢で使用する紙幣「山田羽書(はがき)」に両替する預り
手形のようなもので、商人たちは「講」をつくって保証金を積み立てた。江戸中期以降(1720年代)には、周辺地域の米と魚の卸売り権が認可され、経済中心地となった
河崎はますます力を蓄える。幕府の直轄地であった河崎には、神宮を後ろ盾として大
阪の堺にも似た自治の気風が生まれた。大きな公共事業以外は、町を代表する「河崎町年寄」
が中心となって調整や運営を行うなど、町のシステムづくりがしっかりしていたのだ
そう だ。これもやがて不正などが生じて山田奉行の干渉を受け、次第に自治を拘束
されるように なってしまうのだが。
江戸時代の川ざらい
流通の動脈・勢田川だが、泥がたまるので水深を取るために、年2〜3回川ざらい(「浚渫」しゅんせつ)が行われた。作業は、年寄衆が山田奉行に申し入れ、奉行所が入札を行って選んだ請負人が人夫を集めて行った。請負人が提出した作業規約は、喧嘩をつつしみ、舟の航行の妨げにならないよう指定のやり方で浚渫し、土砂は指定の場所に運搬するなどで、守らないと賃金がもらえなかった。
近代の河崎

明治時代の河崎は5つの銀行が集中する商業都市で、昭和初期に問屋で扱われていた商品は米、魚介、醤油、酒、陶器、肥料と幅広く、伊勢の物産を流通
させる役割も担っていた。取引先も全国に広がっていたが、戦後の陸上輸送発達で多くの卸売業、倉庫業、輪送業が閉店、移転し、川を中心とした問屋街としての町の役割は終止符をうつ。排水溝がわりに使われるようになった勢田川は、見る影もなく変わっていった。
勢田川・水質事情

現在、勢田川には伊勢市市街地の生活廃水がそのまま流れ込んでいる。平成5年からは二箇所で宮川からの水を引き込むようになって、浄化の効果
が出ているようだ。しかし、宮川自体、流量回復が課題のひとつで、ダムの発電放流水が熊野側に流されることなどが問題になっているのが現状。三重県では下水道普及の立ち遅れを取り戻そうと、大湊の近くに大規模な終末
処理場をふくむ「宮川流域下水道」を建設中だ。平成20年になれば勢多川の水質は大きく変わるはずと、期待したい。
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干潮の勢多川
勢多川を上流へ。干潮でむき出した砂州で舟が日向ぼっこ。 |
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二軒茶屋
明治天皇もここで御上陸。一軒残った茶屋のお餅は今も人気だ。
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勢田川と、あたらしいまちづくり

昭和49年(1974)の七夕水害。伊勢の半分以上が水に浸かるという大被害の中、環壕を掘った土で1メートル余りかさ上げされていた河崎の町は被害をまぬ
がれ、無事だった。しかし、洪水を契機に国が立てた勢多川改修計画は多くの建物の立ち退きを前
提としたものだった。1979年、これに対する異議申し立てを契機とし、町並みの再発見と保存運動のうねりが地元住民や、河崎に思い入れのある人々を巻き込んでいく。
2002年、まちづくりの拠点となる「伊勢河崎商人館」が実現。経過の中で123戸が取り払われてはしまったが、残された町並みを守り活用しながら、どう町を活性化していくか。「水の文化の継承」をキーワードに、「伊勢河崎商人館」を拠点とした河崎の新たなまちづくりが始まった。
新・河崎商人
 使われてこそ建物も生きる。ここ数年、町では空家になった蔵や町家で開業する人が
増えた。ほとんどはUターン組や、河崎にほれ込んでやって来た人達で、都会生活の経験者が多い。喫茶店、美容院、居酒屋など、おしゃれで垢抜けたセンスは、古いものを大切に使って生かしているヨーロッパの町のお店に通
じるものがある。入ってみた食堂は、おいしくて、値段もリーズナブル。働く人が楽しそうなのがいいし、観光客相手という甘えがなかった。日本各地に倉庫や蔵を再利用した観光地はいくつもあるが、いくらレトロで雰囲気がよくても、それにおんぶした商売ではお客もしらけてしまう。さすが、筋金入りの商いの町は本物の商いで勝負する。生業が成り立って、暮らしがあってこそ河崎の町。いつか必ずまた来よう。

河崎知るなら「伊勢河崎商人館」へ!

江戸時代創業の酒問屋「小川酒店」を再生した蔵・店・住居や古い資料などが見学できる。昔の商人の家は、武家や農家より工夫があったり粋だったり、断然楽しい。蔵を利用したミニショップもある。
運営はこれまで活動してきた市民運動グループを結集したNPO法人「伊勢河崎まちづくり衆」。ここはまちづくりの拠点でもあるわけで、川の駅構想、船参宮の復活。蔵や町家のアピールや持ち主と借り手の仲介をす
る「暮らし体験」「仲人」事業。伝統工芸の後継者育成など、そのアイディア力、実
践力がすごい。
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