鮭は北海道全域、東北でも漁獲されますが、味の決め手は、育った川の「水」。摩周湖伏流水を水源とする西別川の水と、源流部湧水にある「味の笛」と呼ばれるパイプ状の石が相互作用をおよぼし、比類ない西別鮭の味を生み出しているといわれています。
しかも、西別川源流の「虹別サケ・マスふ化場」から放流され、河口部別海町の前浜に戻ってきた鮭がめざす産卵の地までは、およそ77,5キロの蛇行激しい道のりが待っている。それに備え、遡上のためのエネルギーとして脂肪をたっぷり蓄えていることも、「肉厚で身がよくしまり、味が濃い」と珍重される味のゆえんです。
「鮭の旅」
虹別サケ・マスふ化場から例年、3月末から5月末の間に放流される鮭の稚魚は約4,200万匹。海を目ざして川を下ります。
アリュ―シャン列島、ベーリング海まで回遊して四年後、鮭は子孫を自分の生まれた川に残すため西別川をめざしますが、戻ってくるのはそのうち、5〜7%。強い個体の育成、放流時の川の状況調査など長年の研究と努力の成果で、その数は少しづつ上昇しています。
秋のサケ・マス捕獲高が事業全体の約80%を占める西別川河口の別海漁協は、鮭を例年平均80〜100万匹魚獲、2001年には過去最高の漁獲高3800トンを記録しています。
「徳川将軍のお墨付き」
わが国に西別鮭の名声が定着したのは、松前藩から寛政12年(1800年)当時の将軍・徳川家斉に献上されてからのこと。以来幕末まで、吟味した鮭を塩引きしたものが将軍家と大奥へ毎年献上されていました。
献上鮭を作る作業は、しめ縄を張り斎戒沐浴した後、役人自らが塩漬け作業を行ったといわれます。明治11年(1878)、明治新政府が日本で初めての缶詰工場が本別海に建設し、アメリカ人技師の指導で西別鮭や鱒の缶詰が製造され、国内消費はもとよりヨーロッパ、オーストラリアに輸出され評価を得ました。
「獲る漁から育てる漁業へ」・・・虹別に水産ふ化場が設置されたのは明治23年。北海道開拓時代のあけぼの、しかも交通の不便な地にふ化場が設置されたことが流域の発展への大きなきっかけとなりました。
別海中学校生徒が調べた「献上鮭」
別海中学校ホームページ