津軽海峡を津軽人は「しょっぱい川」と呼ぶ。縄文時代の昔から、青森と北海道道南は「円筒土器文化」と呼ばれる一つの生活圏だったとみられ、海に隔てられてはいても、ごく近しい関係にあったようだ。2002年、姉妹町である北海道戸井町と青森県大間町などが主催し、縄文の木舟を使った海峡横断実証事業「津軽海峡ロマンロード」の試みが行われた。この時、「岩手川と地域づくりを考える会」として参加した舟の舵取りをつとめたのが古川(こがわ)政幸さん。西へ西へと進めば東に流される。行程17,5キロを実質53.5キロ漕いでたどり着いた9時間は、約5000年をさかのぼって、いにしえの海の青函交易を実証した。 ● 津軽海峡ロマンロード実証事業(函館開発建設部) ●東奥日報ニュース 2002年6月2日(日)津軽海峡・丸木舟横断漕ぎ手練習
古川さんは、平成6年放映のNHK「岩木川を下る」の制作で、作家立松和平さんをガイドし、岩木川源流白神山地の懐から岩木川をたどり、日本海を臨む十三湖までをカヌーで下ったことがある。 世界最大級のブナ林の土とコケに浄化された一滴の水から始まる岩木川の旅。「川ガキ」が遊ぶ上流部、川の恵みを受けたりんご畑や穀倉地帯が広がる中流域。水鳥の目線で漕ぎながらの、「川で遊んで、生きる力をもらう。これは、贅沢なことなんですねえ・・」。立松さんの言葉に、古川さんはうなずいた。五所川原河川敷では、人々が力をあわせ、大きなネプタを復元しようとする姿が熱かった(この映像が後日、五所川原の行政指導者の目にふれたことが、立倭武多復興のきっかけとなった)。 やがて岩木川は開け放たれて、十三湖へ。毎日採っても、毎日採れるシジミを、岩木川が運んだ森の養分が育てていた。中世、ここは水運の要所、交易の場であり、その栄華も、岩木川あってこその地理的条件によるものだった。 森が川をつくり、その川が人々の暮らしの真ん中を流れていく。それを再確認したツアーだった。それなのに、人々の生活の中に溶け込みすぎた岩木川は、「そこに有るのが当り前」と、忘れられかけているのではあるまいか。そんな思いが、今も古川さんの頭を離れない。
■岩木川と古川少年 古川政幸さんは、昭和18年弘前に生まれた。古川さんにとって、岩木川は母であり、親父であり、兄弟でもあったらしい。魚を捕ったり、旨いスイカを失敬したり、川の水をじかに飲んだり、生きる知恵をここで学んだという。当時の川は、味噌・塩を持って遊びに行けば一日遊んでいられた最高の「人生の学校」だった。
■受け継がれた津軽の血 東京の日本大学を卒業した古川さんは、市浦(しうら)でドライブインを開業し、村が経営に乗り出した宿泊施設「鰊御殿」で11年を勤めた。その後中里町に食事処「東日流つがる」を開店、毎日包丁を握るかたわら、カヌーやキャンプ・山菜料理の「自然体験学習塾」も主宰している。 「どうして食の道へ」と訪ねたら、「父が食道楽で、湖の真ん中で会議をし、終わればスズキなどを振舞う人でしたから」との答え。 お父さまの影響が大きかったらしい。古川さんの父、政孝さんは中里町宮川の豪農に生まれ、陸奥銀行、津軽鉄道の取締役 を経て弘南バス社長に就任。私財の山を切り尽くして木炭バスを走らせ、奥津軽の道を確保した人だった。 琴古流を修めた尺八、馬術・射撃・テニスなど趣味の世界にあ そぶ一方で、信念を貫き通 した父の※「津軽剛情張(ごうじょっぱり)」の血は、確実に古川さんの身体にも流れている。
※津軽の剛情張(ごうじょっぱり) こうと決めたら、てこでも動かない津軽人の頑固さを表す「津軽じょっぱり」の上を いく性格をさす。他人の目や意見に左右されず、自分の意志を貫徹できる人。「から きじ」ともいうとか。
「そのことなら、古川さんに聞いてごらん」 自然の中であそぶのが根っから大好きな古川さんは、お客さんたちを海へ川へと案内するうち、「川や海の遊び上手」として、すっかり頼られる存在になってしまった。自然の中であそべば、その環境問題に関わらざるを得ない。「岩木川と地域づくりを考える会」の市浦村担当として、女性の目から見た「岩木川」と「津軽の水」を取り上げ、藤崎町とも交流しながら、市浦村漁協婦人部と共に「岩木川レディース河川探訪」に取り組んでいる。
「歴史から環境調査まで」 「縄文の方々は、私たちよりいい器で、いいものを食べていたんです」。縄文時代や中世十三湊の話となると、古川さんの顔が輝く。津軽人は、宝の山に寝ているような ものだそうだ。居合いと剣道もやるし、国立科学博物館のストランディング(漂着) コーディネーターとして、浜に漂着したイルカ・クジラの調査・保護も行なってい る。津軽の海はオウギハクジラが出産する海。死んだ鯨のサンプル採取や発送作業等は全てボランティアだ。
●2001年1月20日(土)東奥日報「市浦・七里長浜にクジラの死骸」 ●2000年2月4日(金)東奥日報「市浦にクジラの死がい漂着[夕刊]」
地球環境の変化を研究する場合、鯨の生態や状態は貴重な研究材料だ。深刻な川の汚染の影響を、海はもろに受け止める。真っ先に犠牲になるのはイルカやクジラだ。 人口増加、周辺環境変化による川の自浄作用の低下、流域から川に流れ込むゴミや肥料、農薬などが出す有害物質など、現代社会 の現実が川にかけた負荷は、「川三尺流れれば、水清し」ということわざを、幻想にしてしまった。 かつて「十三湖では、上流からりんごが流れてくるから買う必要がない」と言われた。今、この川を流れてくるりんごを誰が安心して食べられるだろう。孫ひ孫にいつまで安全で旨いシジミを食べさせられるだろう。 川を汚くしているのはだれか? 川の問題だけではない、1950年以降、急速に地球環境が悪化し、ダイオキシン、環境ホルモン、地球温暖化などの兆候も深刻だ。イマジネーションを広げて、今起こっていること、これから起こることを想像し、今すぐ、できることから始めなければ・・・。 「岩木川を先生に、あそびの中から生きることを学んだ」古川さんにとって、岩木川にも、波の花咲く市浦の海にも、守りたいものが、たくさんあるの だ。 「波の花」とは・・・ 荒磯の冬を彩る日本海沿岸特有の風物詩。岩礁に繰り返し打ち砕ける波の渦が、季節 風を受け、低温と浮遊するプランクトンの粘性によって、白い泡状に湧き立つ現象。(左写 真)
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