奥津軽の自慢

十三湊   

十三湊景色 
写真提供:市浦(しうら)村

十三湊(とさみなと)の謎とロマン

 帆をはらんで入ってくるのは明の貿易船か。海風が、異国の言葉を運んでくる。港には店や商人宿が軒を並べ、和人ばかりか大陸や蝦夷の人々が忙し気に行き交う。・・・・・・・・
今はただ、「浅い真珠貝に水を盛ったような」と太宰治が記したままの姿で、ひっそりと孤独の水をたたえる十三湖。かつてここは、「十三湊」と呼ばれ、14世紀後半〜15世紀前半(鎌倉・室町時代)を頂点に、壮大なスケールで北方やアジア大陸と交易する、国際的港湾都市であった。

 恐れを知らず、海の道を自由闊達に往来していた津軽の豪族、安藤一族の水軍拠点「十三湊」は、本格的な都市計画に基づいて整備され、中国銭が大いに流通 していたといわれる。木の椀が当り前の時代に、瀬戸、越前はじめ中国、韓国などの陶磁器や、東南アジアの翡翠などが盛んに取引され、湊には国の枠に捕われない民たちのエネルギーが満ちあふれていた。源義経がここから大陸に渡ったという伝説が生まれたも無理はない。「実は、蒙古来襲は5回あった。うち3回は勢力範囲を樺太に広げた蒙古軍の十三湊襲撃で、安藤水軍がこれを撃退したのだ」という伝承も残る。  

 作家の司馬遼太郎氏は、この周辺こそが『北のまほろば』であると言い、高橋克彦氏のNHK大河ドラマ「炎立つ」では、十三湊が『東日流(つがる)の港』として登場し、日本人の夢をかきたてた。2001年度大学入試センター試験・日本史で、初めて東北地方にウェイトをおいた出題があったという。勝者である中央権力が印した歴史だけでは、やはり片手落ちということだろう。十三湖では、日本の古代史を根底からくつがえすかもしれない遺跡発掘作業が進められ、行方が注目されている。中央政権の価値観から自立し、隔絶した地理的条件を謳歌し、グローバルな視点で己が命の時を刻んだ、いにしえの津軽人の姿が史実としてよみがえりつつある。

十三湊参考サイト
青森県庁 「あおもりの文化財」
奥津軽情報局
三上卓治の「津軽弁から推理する古代史」
五所川原市
※ 市浦村は2005年、五所川原市、金木町と合併し、五所川原市となった。(2006.3 記)

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