奥津軽の心意気
立倭武多

青森県を代表する夏祭りといえば、青森市倭武多(nebuta)、弘前倭武多(neputa)。その人気に迫り、この数年であっという間に観光客数89万5,000人(平成12年度)を記録したのが、五所川原『立佞武多』(tachi-neputa)だ。

 まずどきもを抜かれるのが、「あすなろ大太鼓」直径3,24m、全長3,6m。長いバチを逆手に巨大太鼓に打ちまたがり、あるいは仁王立ちになった若者たちがたたく音 が、地を揺るがし、腹に響く。「ヤテマレ ヤッテマレ〜!」横笛、手振鉦のお囃子、小太鼓、踊り手たちの掛け声が高まる中、ついに、闇の中から立ち現われた身の 丈20mを超える『立倭武多』。まるでキングコングのよう。「骨組みに紙を張り、色付けした武者人形の中にあかりを灯したもの」と解っているのに、思わず後ずさりする迫力、息を呑むうつくしさだ。

 


巨大な倭武多が蘇る

 

昔、五所川原にはどこにも負げね、倭武多があっ た・・・

昔の五所川原の倭武多五所川原は、古くは豪商や大地主が軒を並べる商人の町だった。明治40年以降、それ ぞれの家が威信をかけて人形ネプタを作るうち、高さ20mを超えるものも作られ、明 かり入るとその姿は隣町からも見えたという。(右写 真:かつての人形ネプタ)
 しかし、大正はじめからの電気等の普 及で電線が張り巡らされ、次第にネプタの背丈は低くなっていった。

復活への、ほむら火

 そして、2度に渡る震 災被害を経て、バブルがはじけた頃には、資金繰りの苦しさから、一度出陣した他町 のネプタを買ってくる程に縮小。それでも、ねぷたへの情熱は冷めたわけではない。かつての威容、賑わいを知る人々の心には、くすぶり続けるものがあった。

   
昇天の儀式
「昇天の儀式」
祭りの最終日、復元された巨大なネプタに火が放たれた。

モツケ魂ここにあり

 平成5年、一枚のネプタの写真と台座の古い設計図が見つかった。これを参考に、「昔のネプタを再現して、みんなをびっくりさせてやろう」と集まった地元有志たちの手で、台座からの高さ20m、まさかりを手に立つ武者人形が岩木川河川敷に復元されたのは、平成8年旧暦の七夕7月1日のこと。ゼロからのスタート、みんなで力をあわせ、手弁当でつくったネプタ「初陣」は、『立倭武多』と命名され、街を運行することはなかったものの、最終日7日、古式にのっとって火を放つ「昇天の儀式」が行われた。

「やるぞ」と風呂敷をひろげた以上は後に引けなくて、後悔しながらもついにやり遂げた・・・津軽人はこんな時「よくやったなあ」という代わりに、「まんず、モツケだいな(馬鹿だなあ)」と言うのだとか。

原色の夢・・市民の心に火がついた

 この様子をテレビで見た五所川原成田守市長(当時県議)は、胸に描いていた「元気な町づくり」構想の起爆剤として立倭武多にひらめきを感じ、当選後、運行コースを設定して、電線や電話線の撤去や道路の整備を行った。もちろん、市民たちにとっても、「モツケ魂」がよみがえらせた伝統と、炎に包まれた立倭武多の幻想的風景への思いは断ち切れるものではない。

 平成10年、行政と市民が一体となって実現した立倭武多元年。「親子の旅立ち」の登場に、今まで低迷していた祭りに火がついた。同年このネプタは、東京ドームで開催された「活彩 あおもり大祭典」で会場の中央に陣取り、「奥津軽の立倭武多ここにあり」を全国に印象付けることとなった。


 

進化するまつり

復活したばかりの祭りだけに、かたちが定まっていないのが立倭武多の面 白さ。始め は地元に定着する「虫送り」という神事と一緒に行っていたが、独立。踊りの振り付 けも色々と工夫されている。コース延長も検討されているし、街の中心に「立倭武多 の館」をつくる計画も進行中だ。

 今のところ、毎年あたらしい作品一点が、市民の願いを込めたテーマに添ってつくら れ、これを含む3基が出陣しているが、今後の展開は未知。「昇天の儀式」も、例年 あるわけではない。

 新世紀を祝う2000年のカウントダウンの時に、立倭武多復活の立役者「親子の旅立ち」が巨大な火柱となって昇天する姿が、NHK「ゆく年くる年」で も放映され、全国の人々に興奮と感動を与えたのが記憶に残る。目の離せない夏祭り だ。

祭りを育む

 時代が変わっても祭りを行う主役は、基本的に地元の町や村、そこに住む老若男女だ。その土地にしか育ちえない慣わし・文化が受け継がれる場として祭りがある。今や、全国区の観光資源にまで成長した立倭武多。注目されているのは、その巨大さば かりではない。「子ども達や孫達のために頑張るべ」と復興から伝承へと、立倭武多 にかける「モツケな大人たち」の姿、人間の本質への問いかけがこの祭りにあるから ではないか。

   

これが立倭武多
7階建てビルに匹敵する高さ20mを越え、総重量 16tにもなる立倭武多は、紙や竹ひご、針金と木で作られている。人形によって異なるが、表面 を覆う紙の面積は畳600 枚以上、内部に使われる電球はおよそ800個、40本の蛍光灯が使われている。

祭りが終わるとすぐに、ネプタの補修。それが終われば、雪の中で構想を練り、来年度の新作づくりに入る。骨組みから紙張り、絵付けまで約5ヶ月。20余りのパーツに 分けて作業が進められ、最終的にJR五所川原駅前のネプタ小屋で、20時間余りをか け、クレーンを使って組上げる。

「10人でつくる山車と1,000人で作る山車ではエネルギーが違う」と、行程のうち、 紙張りと色つけには、地元の子どもたち始め1,500人以上の市民の手が加わる。一般 も参加できる。

立倭武多の全てがわかる・・・立倭武多の館
ネプタ製作体験をしてみたい方は・・・ 立倭武多製作所(通年作業中) tel:0173-33-3540
運行に参加して、曳きたい、跳ねたいという方は・・・ 五所川原市観光協会 tel:0173-38-1515


■nebutaか、はたまたneputaか

弘前地域では「ねぷた」、青森地域は「ねぶた」と呼ぶ。青森市の新聞が「ねぶた」 と書いたので、弘前市の新聞社が「ねぷた」と書いたのが枝分かれの始まり、いう説 もあり、津軽人の「じょっぱり」(頑固)ぶりが伺える。有名・無名問わず、青森県 各地域には、人々が「自分達の祭りが一番!」と、老いも若きもが血を騒がせる、倭 武多がある。

ねむり流し■そもそもの、始まりは・・

その昔、この時期農作業中に眠気を起こさせる「ねむり魔」を追い払う「ねむり流し」の行事が、全国の農家で盛んに行われていた。これが津軽では「ねぶた」となっ たという説が最近では有力。一方、大和時代、坂上田村麻呂の奥州征伐の際、最後ま で抵抗した津軽地方の軍勢を、笛や太鼓を鳴らし、大きなハリボテで威圧し制圧した 名残という説もある。 七夕の厄を海や川に流す行事と、お盆の灯篭流しが融合したのがはじまりらしい。

青森ねぶた
青森ねぶた

弘前ねぷた
弘前ねぷた

■どこが違う?各地の倭武多

・青森ねぷた
凱旋ねぶたといわれ、勝利に喜び勇んで飛び跳ねる様そのまま、「ラッセラ〜 ラッセラ」と跳ね人が踊り、大きな人形ねぶたが、ダイナミックに引き廻される。

・弘前ねぷた

これから戦に赴く進軍ねぷた。「ヤーヤドォ〜 ヤーヤドォ〜!」粛々と扇形のねぷ たを進める。扇の表は絢爛豪華な武者絵だが、「見送り絵」といわれる裏面 には、寂しげな美女が描かれる。

・五所川原ねぶた(立倭武多)

戦い真最中の合戦ねぶたであるため 「ヤテマレ ヤッテマレ〜!」やっつけてしま え、と勇ましい。血の熱い奥津軽の心意気、「喧嘩ねぷた」ともいわれる。

津軽の倭武多
青森ねぶた公式サイト
青森ねぶた正調囃子保存会

 

冊子

このページの写真の一部は、青森県五所川原市の (有)アート印刷に、ご提供を戴きました。 この会社では、立倭武多の全てを 美しい写真入りで紹介する冊子を発行しています。
写真:「立倭武多」 
お問合せは:(有)アート印刷 電話 0173-34-4487

 


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