沖縄本島・個性派の川
 

国場(こくば)川

那覇空港を出て、初めて出会ったのが、ゆったりとした川幅をもつ、市内で最も長い全長10kmの国場川。もう街中に入っているのに、川岸のそこかしこに、激しい海の干満の跡が見られ、大増水でも有ったのかと思った程でした。国場川と、饒波(ヌハ)川が交叉する河口、真玉 橋から奥武山にい至る漫湖は、県内最大の干潟です。シギ・チドリなどの越冬地、中継地として沖縄本島で最大、かつ重要な湿地として、1999年日本で11番目のラムサール条約登録湿地として認証されています。 漫湖には「ウティンダガー」と呼ばれる泉がありますが、この水を運んで市内に売る舟が行き交ったのは、もう昔のこと。この周辺は海の潮が行き来するのでそれほどでもなかったようですが、1986年、国場川は生活廃水や養豚畜舎排水の影響で、日本で最も汚れている川のワースト4位 となりました。中・上流域の水は真っ黒でヘドロが堆積し、どぶ川の匂いで流域の人は窓を開けることも出来なかったといいます。近年、水質は改善されつつあるものの、ラムサール条約登録で湿地保全を図る中、ゴミ投棄や騒音、上流の宅地化による土砂流入、干潟の陸地化など都市地区ならではの課題が山積み。特に、埋め立てで無くなったマングローブの景観をとり戻そうと、干潟に植えられたヒルギが茂りすぎたことも陸地化を促し、水鳥の営巣地を奪っているなど、林の保全と、野鳥保護をどう両立させるかが問われています。

国場川河口干潟『漫湖』の自然と環境
 (おきなわ環境クラブのサイト内「沖縄の水環境について TOPIX3 (1) 〜(3)」)

  【ラムサール条約】
1971年、イランの保養地ラムサールで、水鳥の生息地として重要な湿地を守る目的で、締結された国際条約。正式には「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」で、同条約は、湿地の「持続的な賢明な利用」(ワイズユース)、国際的監視の下に、湿地の生態系を保護しようとする考え方を求める。加盟国は114ヶ国、登録湿地は 約970カ所。事務局はスイスで、重要湿地として登録されると各国は保全や管理を進め、3年に1回開かれる締約国会議で保全状況を報告する必要がある。日本は80年に加盟した。

 

 
 

 

 

志慶真(しげま)川
沖縄本島北部、本部半島の険しい山の懐に残る、今帰仁城(ナキジン・グスク)は、今帰仁御神(ナキジウカミ)と慕われた絶世の美女、志慶真乙樽(シゲマウトウダル)の伝説で知られています。石積み高々と、万里の長城を凝縮したかのように美しい曲線を描く城跡の、東側の断崖絶壁を流れる川が志慶真川。標高約100m、石灰岩でできた丘上にある城は雨水が溜まりにくかったのでしょうか。崖を伝わるように、川から水を揚げるための道が川沿いまで伸びています。難攻不落といわれた、北山の都の生活を支えたのは、志慶真川の水だったのかもしれません。
志慶真川は、天気のよい日は、上流から流れてきた水が途中で地中に消え、再び下流で流れ出す不思議な川です。雨が降った時だけは、上流と下流がつながるが、しばらくするとまた、川がきれてしまう現象は、他にも、本部半島の大井川、満名川(マンナ)などでも見ることができます。これは半島の地質が石灰岩であることによるようで、岩の間から地下に流れ込んだ二酸化炭素を含む雨水が石灰岩を溶かして作った鍾乳洞のトンネルを、川の水がたどり、また下流で地表に現われるのだと考えられています。

  【城ぐすく】
グスクは12世紀から16世紀に各地の豪族が建てた城で、15世紀には北山・中山・南山の三つの王国にまとめられ、1429年琉球王国として統一された。グスクには、「石垣で囲まれた聖なる空間」という意味があるともいわれる。沖縄には200を超えるグスクが残る。「琉球王国のグスク及び関連遺産群(全9資産)」が2000年、世界遺産に登録され、今帰仁城はそのひとつ。

「今帰仁城の落城」(沖縄国際大学遠藤庄治教授) 沖縄人(OKINAWAN.JP)/沖縄の民話

 

 
 

 

 

塩川

本部町の塩川集落内を流れる、長さ300メートル程の塩水の小川。本部町、塩川住民の自慢、国の天然記念物です。小川の水をなめてみると、海水よりはしょっぱくないけれど、確かに塩水。これは、海水が川に逆流しているわけでも、地底に岩塩があるのでもなく、海水と同じ成分の塩水が淡水で薄められ、海面 よりも高い山のふもとにある、源流湧水の岩間から湧き出ているからで、詳しいメカニズムはまだ謎に包まれています。しかし、1947年から3年をかけた調査から、地下に海水と地下水が混ざり合う貯水池があり、そこに溜まった塩水が、石灰岩の割れ目にできたパイプ状の通 路を、サイフォンの原理で吸い上げられているのでは、という説が最も有力です。このような塩水が流れる川は、世界中に、塩川と、中南米プエルトリコの二箇所だけという希少な川です。塩川の周辺は芝が敷かれ、海は目の前。川の中をのぞくと、ユゴイ、ボラ、ヨシノボリが泳ぎ、テナガエビ、オオウナギが姿をみせることもあるそうです。今帰仁村の運天(ウンテン)や湧川(ワクガワ)には、塩水の涌き出る泉があります。

 

 
 

 

   
太陽と月と神さま
  沖縄で、川の誕生を描いた昔話を見つけました。小さなかわいいストーリーに、生活にもっと密接だっただろう昔の川の姿が想像され、同時に沖縄人のユーモラスで温かいこころが伝わってきました。

さて、むかしもむかし、ずーっと大昔のことです。太陽と月は、天の神様と一緒にすんでいました。 天の神様は、太陽と月をとても可愛がり、いつも二人を天びん棒で担いでとことこと嬉しそうに野山をあるいていたそうです。 ある日のこと、天の神様はにこにこしながら太陽と月に聞きました。 「お前達、どこか行きたいところはあるかね?どこへでも連れて行ってあげるよ」 「神さま、東にある山のずーっと向こうへ行ってみたいです」 太陽はきっぱりと答えました。 「私は、西にある海のずーっと向こうへ行ってみたいです」 月は、うっとりとした顔で答えました。 その答えを聞いて、天の神様は困りました。 いっぺんに東と西へ行くなんて、いくら神さまでもできません。 「こりゃぁ、困ったわい。太陽は東の山のずっと向こう、月は西の海のずっと向こうへ行きたいというのかね?」 天びんに乗った太陽と月は、大きな声で「はいっ!」と答えました。 二人があまりにも大きな声で返事をしたものですから、びっくりした天の神様は思わずよろけて、そのはずみで天びん棒が二つに折れてしまいました。それだけではありません。ひゅーんと言う音がして 太陽と月は東と西の彼方へと飛ばされてしまったのです。 あっと言う間の出来事でした。

天の神様は太陽と月のことを思ってさめざめと泣きました。 「太陽はひとりぼっちで寂しかろう。月も一人ぼっちで寂しかろう」 こうして天の神様は、何日も何日も涙をこぼし続けました。とめどなく流れ落ちた涙。それが沖縄の川となりました。

 
   

 


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