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●河川文化ディスカバー・フォーラム
in 沖縄 パネルディスカッション「河川文化・河川と地域のつながり」
【マチグァ―とガーブ川の昔】
戦世(イクサユー)が色濃く残る1950年頃、密貿易やヤミ市に頭を痛めた那覇市は、ガーブ川を挟み(この周辺も、小さな闇市を形成していたという記録も残る)、東側を主に衣料雑貨、西側を食料品と分け、公設市場を設置した。この使用料が市の財源として大いに役立ったといわれる。近くの壺屋(沖縄を代表するやきもの「壺屋焼」で有名な町)でいち早く陶器の生産が再開されたことなどもあって、ここを中心に那覇市の復興が始まった。
「農連市場あたりからガーブ川沿いには、裸電球がぶらさがっている屋台がずらっと並んでいた。そこでは一合コップ一杯の泡盛が五セントだったからずいぶんと遠い昔の話である。貧乏新聞社ゆえにいつも前借りで二、三人の仲間と出掛け朝方まで飲んだ。」と沖縄のジャーナリストが書きとめている。「沖縄下水道年表」によると、1960年から、那覇市久茂地川、ガーブ川、安里川及び上水源の比謝川等の排水タレ流しによる水質汚濁が社会問題化したとある。
【マチグァ―とガーブ川のこれから】
2000年4月、那覇市は、ガーブ川水上店舗を撤去し、民間開発と一体となって周辺に
新たなバザール広場や小公園、マチグヮーセンターなどを整備する再生計画「都市活
力再生拠点整備事業」(リジューム事業)を策定、発表した。ガーブ川の水路は暗渠
にして残し、上部は幅20mの道路(ガーブ川線)をつくる計画で、現時点では整備実
施時期は未定。
( 問合せ:那覇市都市計画部 都市再開発課)
●那覇市公式サイト
参考文献:「昭和の沖縄」琉球日報社会部編 ニライ社
「川は訴える」寺田 麗子著 (有)ボーダーインク
参考:「環境−人・インタビュー19回 ―寺田麗子さん―」 さうすウェーブのサイト内
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