源河川のほとりに一つの歌碑が建っている。
 刻まれているのは源河節の一節 。

  源河はい川や(ジンカはいカーヤ)
  潮か湯か水か(ウスかユかミジか)
  きん河美童乃(ジンカミヤラビヌ)
  おすてところ(ウスディドゥクル)

「源河川の流れは、海の水か湯であろうか。それとも水か?源河の乙女らが、水浴びをして美しく生まれ変わるところだ。」
昔の豊かで清らかな流れをうかがい知る。

本島北部名護市の北の端にある源河川は長さ13.5 km(沖縄県企業局資料より)。かつてはリュウキュウアユの産地として知られ、明治35年の琉球新聞には、「夏中の楽しみは、源河名物『香魚』」の記事が見える。
人の足にぶつかるほど魚影が濃い時期もあったといわれるが、1978年、名護市の調査によってリュウキュウアユの絶滅が確認された。

【リュウキュウアユの生態】
本土産アユとは遺伝的に異なる琉球列島固有の亜種。川の中流域で生活し、生まれると海に下り、成長すると遡上して川に戻る両側回遊魚として1年で一生を終える。胸びれの条数が九州以北のアユと異なり、縄張り意識や闘争心が少ないなどの特徴がある。沖縄では既に絶滅し、今は奄美大島だけに残っている。絶滅した後になって、学会でリュウキュウアユが新亜種として報告され、初めて貴重さが再認識された。
絶滅の要因には、乱獲もあったが、1960年頃からの山地開発による赤土流出で淵が埋まったり、河口部の畜舎排水などによる河川の汚れ、砂防ダム建設や河川改修工事などの影響が考えられた。


夢を取り戻そう!
1986年、ダム建設への対応をきっかけとし、Uターンしてきた若者たちを中心に源河300世帯が参加して「源河川にアユを呼び戻す会」が発足した。同会と琉球大学の「リュウキュウアユを蘇生させる会」、名護市、北部ダム事務所の四団体が一体となり、リュウキュウアユの稚魚の養殖にも着手し、ダム湖活用の一環として「陸封化」アユ定着の試みも始まった。一度絶滅してしまったアユを呼び戻すことは、「死人を生き返らせるような話」と誰もが危ぶんだ。アユが戻れる川づくりのための課題は山積み。川に遊びに来る人たちの理解と協力を得る必要もあった。

人工孵化の成功と放流
源河節の歌碑の近くに「名護市源河リュウキュウアユ種苗センター」がある。「源河川にアユを呼び戻す会」の本拠地であり、リュウキュウアユを人工孵化している。1988年完成。高知大学から稚魚(奄美大島産の親から種苗生産)を入手して種苗生産(※)のための飼育を始めた。 設立当初は悪戦苦闘し、失敗を繰り返したが、今では、45万匹を孵化、10万匹を生産(2001年)するなど養殖技術が確立した。ここでかえったアユは源河川をはじめとする北部地区の河川やダムへ放流されている。さらにうれしいことに、2002年11月、試験的ではあるが、初めて養殖アユ340匹を食用として出荷した。
※種苗とは養殖用の稚魚や卵のこと。種苗生産とは種苗の状態から人工的に管理・ 飼育して放流できるサイズまで育て上げること。卵から生まれたばかりのアユは5mmほど。放流できるのは半年後の5〜6cmに成長してから。

一歩一歩。手応えあり!
1992年から源河川への放流が始まり、1994年には成長した若アユの遡上を確認。源河区の小学生らによって第1回目から第9回目(2000年)までに延べ105,780尾余の放流が続けられている。放流は今や年中行事。稚魚に触れる子どもたちの歓声が毎年河原に響く。
現在ではダム湖内のアユは自然繁殖を行い、湖と川で一生を過ごす「陸封化」は、ほぼ成功と見られている。川の水も以前に比べると格段ときれいになり、魚影が戻った。最終目標である、「リュウキュウアユ本来のライフ・サイクル定着」に向けての、確かな手応えだ。

第三回日本水大賞「沖縄島におけるリュウキュウアユの復元」 pdfファイル (社)日本河川協会

やんばるの生態系を象徴する生きもののひとつといわれるリュウキュウアユは、海、山、川全体の生態系を一体として考えないと復活はありえない。
左写真は源河川河口。海から波がうねりながら川の中に押し寄せる。 沖縄には、川と海の水が行き来できなくなった「河口閉塞」の川が多いという。山からの土砂の流出やダムの流す水量 の影響等で河床が埋まってしまうのだ。 しかし、ここ源河川の河口では、海と互角に対峙する川のエネルギーを力強く感じられる。そして、かつてのようにたくさんのリュウキュウアユが、海の潮と川の水とを縫うように、行き来する様子が見られる日も夢ではないと思わせてくれるのだ。


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