嘉手納漁港
比謝川の懐に抱かれて

比謝川は、米軍基地が総面 積の80%を占める嘉手納市を流れ、東シナ海に注いでい る。河口部は大きく蛇行し、そのうち懐に嘉手納漁港がある。全国でも珍しい、海人 (ウミンチュ・海の漁師)がつくった川の中の港だ。


漁港は青い空と海に白い船体が映え、まるでリゾート地のようなたたずまいだった。その横に、ぽつんと細身で黒びかりするサバニ(手漕ぎ舟)が置かれていた。その主は、照屋林栄さん。嘉手納の海人の最長老で、9歳の時から舟に乗り、今年で81歳になる。川の向こうに浮かぶイカダの上の小屋は、照屋さんが道具をしまったり、網を繕う作業場だ。

今は漁船のほとんどはエンジンつきの漁船で、東シナ海の沖合いに出て、延縄(ハエナワ)漁を行っている。サバニをつかって河口部で漁をしているのはもう、照屋さんひとり。「ちかいところは僕の担当、責任をもってやっている。」漁は刺し網(サシアミ)漁といわれるもので、夕方、上潮に乗って海から川へと入ってくる魚の通 り道に網を仕掛け、引き潮と共に海に戻ろうとする魚を捕らえる漁法だ。

サシアミの長さは約300m。舟に積み込むと照屋さんの小柄な身体は網に埋もれてしまいそうだ。その日の潮を見、魚の動きを予測して、「エレク」と呼ばれる一本櫂で舟を自在にあやつりながら、背後の網を海に落としてゆく。この作業には、小回りの効くサバニが一番。川のこと、海のこと、漁、操舟、全ては、海人だった父から教わった。

網を入れて約12時間後の早朝、照屋さんは再び海に向う。夜が明けて魚が動きが活発になる前に、急がねばならない作業がある。照屋さんは舟を漕ぎ出し、網を仕掛けた周辺の海面 を長い棒でたたき始めた。魚を驚かせ、網に追い込むのだ。大きく揺れる舟に立ち裸足で踏ん張る。30分ほどたたいて、今度は網を引き上げる。カニ、小魚、30cmを超える大物、鯛の仲間のガクガクが入っていると、「ほ・ほ・ほう」と照屋さんのうれしそうな声が早暁の海に響く。約2時間かけて網を納め、今日の漁果 は20kg ほど。まずまずだそうだ。

獲った魚は市場へ売ったり、家族で食べたり、人に分けたりするが、孫ひ孫達も「おじいの魚を食べよう」と言って照屋さんをうれしがらせる。積極的にサバニに乗りたがる孫のひとりは、おじいの跡取になりそうだ。「比謝川は命さー。みんなの命の恩人さー。ほんとうにいい川。ほんとうに。何とも言われんくらい・・・。」と、照屋さん。7人の子どもを育て上げさせてくれたこの川と海。そんな難儀してまで、と家族は気遣うが、海の荒れる冬が終わり春が来れば、比謝川の自然の営みの、既に一部である照屋さんとサバニは、かりゆしの海(※)に向って又漕ぎ出すのだ。

漁の様子 漁の様子 漁の様子
漁の様子 漁の様子 漁の様子

嘉手納港の対岸には、「肝美ちさ 海美 らさ 後の世までん(きむちゅらさ うみちゅらさ のちのゆま でん)」と書かれてある。「海を愛する美しい心、美しい海を、後世まで残しましょう」の意だそうだ。背後の石碑には、「海やかりゆし」。(※)かりゆし、とは嘉利ゆし。「めでたい ・豊穣」の意。沖縄言葉のリズム、響き、含むものの豊かさに酔う

【サバニとハーリー競漕】
サバニとは沖縄の言葉で「小さな舟、小さな舟の平和」という意味で、漁業に使われ た沖縄伝統の小舟を指す。かつての琉球の海人はこの舟で、フィリピン・インドネシ アまで行き来したという。製法により、1本の木をくりぬいて造るクリブネと、釘を 一本も使わず数枚の板を張り合わせて造るハギンニの二種類がある。櫂でこぐと1時 間に5〜6ノット。帆をあげると10ノットも出るという。 例年旧暦5月4日、豊漁と航海安全を祈願して県内各地の漁村で行われる神事、海神祭 のメイン行事が、サバニによるハーリー競漕。嘉手納漁港でも毎年盛大に行われてい る。今から約500年前の琉球王朝時代に、中国から伝わった爬竜船(はりゅうせん) 競漕がそのルーツとも言われる。サバニの船首で打ち鳴らす鉦の音にあわせ10人の漕 ぎ手が櫂を海に突き立てて漕ぎ進む様は、血湧き肉踊る美しさ。迫力の真剣勝負だ。 浜で応援する子供からオジー、オバー(祖父母)まで、鉦、太鼓を打ち鳴らし、指笛 を吹き、踊り狂う熱狂ぶりも必見。沖縄では 「ハーリーの鐘が鳴ると梅雨が明ける」と伝えられ、本格的な夏の訪れが近い。
嘉手納町ホームページ
「沖縄の祭りとイベント」 KK日本旅行沖縄のホームページ

【沖縄の漁業】
沖縄を取り巻く珊瑚礁の生き物の特徴は「多様性」。海底はサンゴや岩があるので、 漁法も限られる。獲れる魚は種々雑多だから、高温多湿なのに仕分けに時間がかか る。透明度の高さは、魚のエサとなるプランクトンが少ないことを示し、魚は淡白で 脂が少ない。熱帯魚も多い。豊かな海に囲まれながら、琉球の海人たちの苦労が尽き なかったゆえんだ。1977年の返還の時、沖縄の漁業は本土から百年近く遅れていると 言われていた。それから二十数年、カツオ・マグロなどの沖合漁業も盛んになり、養 殖では、活くるま海老の出荷量は全国一位、もずくの生産量は全国の90%を超える。 しかし、沿岸諸外国の二百カイリ以内での操業規制に加え、沿岸では海域への赤土の 流出による深刻な汚染、観光産業の進出や公共事業などに伴う埋め立て等で、魚介類 の漁獲量がとみに減少しているのが現状だ。専業漁業者の生活は厳しくなっており、 海をみんなで守って行こうとする地域主導型運動や、資源管理型漁業への模索が進め られている。
J F 沖縄漁連

【沖縄の海とイノー】
沖縄の海を高台から眺めると、沖合いに白波が立ち、そこを堺に海の色が変化してい る。これがリーフ(礁原/しょうげん)で、台風や、冬の北風による大波を静める防 波堤となって、リーフの内側(琉球言葉では、イノー)を生きもの達の安住の場とし ている。渚からリーフまでの距離は平均200〜300m位、干潮時には歩きながら、海藻 や貝、魚などを獲ることができる。 島に生きる者にとっては、イノーは自然がもたらす食料の貯蔵庫であり、琉球王朝以 来、地域住民が共同利用する「海の畑」という位置付けだった。近年まで、オジイや オバアがイノーに海藻や貝を夕食のおかずに採りに行きく姿は日常にあり、戦中、戦 後の庶民の食を支えたのもイノーだった。「自然に食べさせてもらう」という体験、 意識はこうして培われた。海がいかに人々の営みに溶け込み、「みんなのもの」であ るかは、旧暦3月3日全県的に行われている、潮干狩りや浜あそびをしながら女の子の 健康と幸せを月と海の神様に願う「浜ウリ―」などの行事にうかがい知ることができ る。

・このページの作成に当たっては、照屋林栄さんのご子息、林有さんにご協力を戴 きました。この場を借りてお礼申し上げます。
・参考文献:「海は泣いている」 吉嶺 全二著 高文研
     「川は訴える」寺田 麗子著 (有)ボーダーインク


沖縄・玉城村沖縄・ガーブ川沖縄・源河川沖縄本島・嘉手納漁港沖縄を生きる沖縄・MAP

pick up 川