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さる4月7日、「国土と地質と観光と」と題する「グッピ(地質情報活用機構)」【1】の第1回フォーラム)」【2】があった。私がその基調講演を行なったのだが、その狙いは、今後、各地域において地質を中心に「ジオパーク」【3】をつくろうという呼び掛けであった【4】。その地域の自然を生かすかことは「ロマンある地域づくり」の基本であって、自然の三大要素のひとつである地質(土を含む。以下に同じ。)を精一杯生かさない限り地域の観光に広がりと深みはでてこない。さらに、その地域の風土を知るということはその地域に生きる人びとにとって生きるということそのものにほかならない。
これと同じように、私たちは「歴史と伝統・文化」を生きているのであって、地域においてその地域の「歴史と伝統・文化」を語らなければならない【5】。そして、その地域と地方との関係、国との関係を語らなければならないのである。ちなみに、私たちはゆめゆめ「歴史と伝統・文化」に生きるなどと言ってはならない。私たちは、過去から未来に向けて今という現在を生きているのである。永い時間軸のなかで今という一瞬一瞬を生きているのである。
川を抜きにして地域の歴史を語ってはならない。その地域の歴史というものは川とともに刻まれてきたからである。農耕との関係も大きいが、川が舟運に果
たした役割は実に大きい。皇太子が言われるように、京都に都ができたのは、京都が、淀川を通
じて瀬戸内海、木津川を通じて奈良、宇治川と琵琶湖を通じて日本海にそれぞれ繋がっていたからである【6】。
卑弥呼の頃多くのクニが小河川のほとりに発生したのは稲作との関係からであるが、地方豪族の誕生と成長については大河川の舟運というものを考えながら語らねばならないのではないか。私はそのような考えから、日本の「歴史と伝統・文化」というものを見ているが、わが国の伝統・文化の多くが「水とのかかわり合い」のなかで育ってきたという面
もあるので、地域の川や水を語るということは日本の「歴史と伝統・文化」を語ることそのものでもあるのである。
「ロマンある地域づくり」【7】とは、地域の自然的特性、歴史・文化的特性にもとづき、人々の感受性の深層部分を震わせるような気配りのされた個性ある地域づくりであって、それは「共生の思想」にもとづいて行われなければならない。地域の自然的特性を象徴し歴史・文化的特性を象徴する「川」をいろいろな切り口で大いに語ろう。特に近畿地方の川はそうである。
明治政府の治水工事は、明治元年、まず淀川において始められる。その後まもなく、木曽川と筑後川においてもスタートするが、明治33年、河川法にもとづき利根川や九頭竜川などの第2グループがスタートするのである。その立て役者は、今ではほとんどの人が知らないが、九頭竜川の生んだ大政治家・杉田定一先生【8】のなみなみならぬ
ご尽力のお陰なのである。その延長線上に、東郷重三先生【9】という地元の傑物がおられる。
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| 東郷重三氏を囲んで九頭竜川鳴鹿大堰の建設当時の想い出を語る
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杉田定一氏の墓前で、その功績を語る東郷重三氏 |
河川関係機関では、河川行政の歴史上特筆すべきものをその生き証人から公述記録するというプロジェクトが始まっている。オーラルヒストリーである。すでに、渡辺隆二さん、西川喬さん、川崎精一さん、小坂忠さんという・・・私たち河川技術者の大先輩の報告書が刊行されているが、この度、東郷重三先生の「九頭竜川にかける男」(2006年2月28日、河川協会)が刊行された。【10】地元の方々の治水に対する思いというものがどういうものがどういうものかが良く判る。たいへん貴重な記録であろう。東郷重三先生にあらためて深甚なる敬意を表するとともに、関係の方々に感謝を申し上げたい。
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| 東郷重三先生(昭和62年県会議員辞任の朝撮影/「九頭竜川にかける男」より転載)
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東郷重三先生の句/不孝者せめて母なる九頭竜に孝行したき企てに遇う(「九頭竜川にかける男」より転載) |
「歴史と伝統・文化」というものは、必ずそれに関わった人がいるのであって、その人の物語でないと人びとの思いというものが伝わってこない。ただ単にできごとを羅列するだけでは表面
的で深みが欠如する。面白くないのである。歴史というものは、いろいろな矛盾のなかで最良の選択が行なわれたのであって、歴史の必然性というものがあるのである。人に焦点を当てて歴史を語らねばならない所以である。
近畿地方では、「歴史街道」というプロジェクトも始まっている【11】。「道」の歴史は古いが、古代、「道」は舟運であった。河川に関わる行政官は、せいぜい川や水の歴史的或いは文化的遺産を拾い集めて人びとの目につくようにしてほしい。そういう情報をもとに作家は想像を逞しくして、きっと魅力ある人物を舞台の上に登場させてくれるに違いない。田辺朔郎【12】は、いうまでもなく近代土木を始めた先駆者である。私たち土木技術者の大恩人である。田村喜子の「京都インクライン物語」(山海堂刊)【13】があって近代土木というものがどのような背景のもとどのようにして誕生したのかが判る。土木のすばらしさというものがイキイキと語られている。
私たちは、「川」を中心に、風土を語り、土木のすばらしさを語り、そして「歴史と伝統・文化」のすばらしさを語らなければならないのである。それを全国の中でもっともやり得るのは「近畿地方の川」である。
大和盆地になぜ古代国家が誕生したのか。物部氏【14】はどのようにして大野川に誕生し、どのように大和盆地に進出し、どのように東北を併合していったのか。東大寺【15】というあのようなどでかい木造建築物が何故あの時代につくり得たのか。すべて川を考えないで答えを出すことは難しい。近畿地方では、海の舟運も含めて古代の舟運について大いに語ってほしい。角倉了以(すみのくらりょうい)【16】の保津峡開削【17】は知る人ぞ知るであるが、その劇的な物語を是非語ってほしい。
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| 京都亀岡盆地から嵐山へと流れ下る保津峡出口付近(写
真提供:国土交通省淀川河川事務所) |
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デレーケ指導による、草津川上流大津市上田上のオランダ堰堤(写
真提供:国土交通省近畿地方整備局) |
また、治水としての砂防も語ってほしい。藤原京の用材だけでなく飛鳥、奈良時代の仏教の伝来や大陸文化の渡来によって奈良七大寺(東大寺など)のほか地元でも石山、三井寺などの建立で田上の山々が伐採されたようだ。田上山で行なわれるようになった近代砂防(山腹工)の持つ歴史的意義【18】を大いに語ってほしい。また、大和盆地を守るために、現在、砂防技術の粋を集めて「亀の瀬」の地滑り対策【19】が行なわれているが、これにも劇的な物語があるはずである。そういう劇的な物語を是非語ってほしいと思う。
(河川プレビューNo.134 夏季号 河川新風土記3.より転載)
季刊「河川レビュー」
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